takettoのブログ

少し笑えて勉強になるブログ。にします。

昭和天皇が二回日本を裏切り日本を救った出来事【2・26事件と終戦】

どうも

「終戦記念日にNHKから国民を守る党の立花さんが恋人紹介をしていて平和を感じざるを得ない」

でお馴染みのタケットです。

 

NHKはぶっ壊しても、恋愛はぶっ壊さないで欲しいですね。

 

一応リンク貼っておきます。

立花孝志の恋人紹介 - YouTube

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はい。皆さんこんばんは。深夜の新聞部ことタケットです。

 

今日は終戦記念日ということで、終戦にまつわるエピソードを書いていこうかなと。

 

昭和天皇が二回日本を裏切り日本を救った出来事

 

皆さん昭和天皇に対してどう言った印象を持ってるでしょうか?

 

僕の最初の印象は「戦争を引き起こした張本人」という印象でした。

昭和天皇が戦争しようと言ったから大東亜戦争(太平洋戦争)が始まったという印象です。

何故だかわからないですけど、悪い人って印象が強かったです。

しかし、よくよく勉強してみると実は真逆の人だったのです。

 

まず、あの当時の憲法(大日本帝国憲法)では、名目上では日本は天皇の統治国家という定義ではあるんですが、実際は日本の統治はだいたい現在のように内閣の議決によって決まり、天皇はあくまで「君臨すれども統治せず」という考え方だったのです。

 

「昭和天皇独白録」でも昭和天皇は、「私は内閣の上奏するところのものは仮に自分が反対の意見を持っていても、許可を与えることに決めた」というようなことをおっしゃっています。

 

つまり、天皇は政治に口出しすることは出来ないし、するつもりもなかったということなのです。

 

事実、昭和天皇は大東亜戦争には反対だったのですが、拒否できませんでした。

 

そんな中、昭和天皇は「君臨すれども統治せず」を二度破り、日本を救ったことがあるのです。

 

2・26事件

 

まず2・26事件とは、青年将校たちが首相官邸や朝日新聞社などを襲い、陸軍省、参謀本部、警視庁などを占拠し、海軍大佐の松尾伝蔵、大蔵大臣の高橋是清など9人を暗殺したクーデターです。

 

青年将校たちは、名目は天皇の大御心を実現するために賊を排除するということだったのですが、実際は狂気とも言えるほどの自己陶酔が引き起こしたクーデターでした。

 

それに対して陸軍首脳は当初、穏便な事態収拾に向け彼らに歩み寄りを見せており、なかには「彼らの気持ちはわかる」というものすら存在していました。

 

しかし、昭和天皇は、すぐさま自ら近衛師団を率いて現場に向かい急速な解決を急ぎ、そして青年将校たちを終始「反乱軍」と見なして動じませんでした。

 

そして、彼らに対して武力討伐を命じ、クーデターを鎮圧しました。

 

もし決断をためらっていたならば、このクーデターは国を二分する内乱に発展して、日本が崩壊の一途をたどっていたかもしれません。

 

終戦

 

ポツダム宣言とは簡単に説明すると、アメリカ、イギリス、中国の名で日本に対して降伏を欲求する宣言のことです。

 

そのポツダム宣言を日本が受け入れて戦争は終わるのですが、そこには昭和天皇の聖断があったのでした。

 

まず7月27日にポツダム宣言が日本に伝わった時、当時の鈴木首相は黙殺をしました。

 

しかし、日本の通信社が海外向けに黙殺をignoreと訳して伝えたのですが、海外の新聞ではreject(

拒否)と伝わってしまいました。

 

当時のアメリカ大統領であるトルーマンは日本がポツダム宣言を最初拒否することは分かっていました。

むしろそれを理由に原爆投下を正当化しようと考えていました。

 

そして8月6日に世界で初めて原子爆弾が広島に落ち、続いて8月9日に長崎に原爆が投下され、日本は甚大な被害を受けました。

 

打つ手がなくなった鈴木首相はポツダム宣言を受諾する意向を示しました。

 

しかし、陸軍は本土決戦を含む戦争継続を主張していましたが、国体護持、自発的な武装解除、日本人の戦争裁判の参加の3条件を元にポツダム宣言を受諾する方針となりました。

 

そして、首相や外務大臣の「天皇の地位存続のみを条件」とする案と、先述の3つの条件を元とする陸軍の案の2つに分かれたのです。

 

普通に考えたら、陸軍の案の3つの条件などアメリカが受け入れてくれるはずがありません。

 

10日未明の昭和天皇御席の御前会議でもまとまりを得ず、鈴木首相は天皇の判断に委ねることにしました。

 

そこで天皇は外務大臣の案を採用することにしました。

 

しかしアメリカ側が12日に出した返答は「天皇および日本政府の国家統治権は連合国軍最高司令部の統治にすることを条件とする」ということだったのです。

 

つまり、昭和天皇の地位存続を認めないということだったのです。

 

そして、日本ではまた議論が続きます。

 

このアメリカの条件を受け入れるのか、それとも本土決戦で戦争継続をするのか。

 

そこで天皇は、ポツダム宣言受諾を決断しました。

 

そのときこのようなことをおっしゃったそうです。

 

『自分の命はどうなってもいい。

この国から日本人がいなくなれば、それこそ本末転倒だ。

自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。

このまま戦争を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。』

 

昭和天皇は、本当であれば政治に意見することが出来ず、本人もしない方針でいたのですが、

生涯で2回目となる「君臨すれども統治せず」を破り、日本を救ってくれたのでした。

 

終戦から74年。

 

今度は僕たちが日本を守っていく番なのかもしれません。

 

ではでは。