takettoのブログ

少し笑えて勉強になるブログ。にします。

サボりは悪くない 性弱説のススメ

どうも

「コメダ珈琲が高いのは、品のない客を入れず、店の質を高め、ゆったりとした喫茶であり続けるため」

であることを知り、驚愕のあまりコメダ珈琲のファンになってしまったタケットです。

 

なるほど。確かにコメダ珈琲は静かでゆっくり勉強できます。

(そして店員さんも可愛いです。)

 

さて。

今日は「性弱説」について書いていこうと思います。

 

性弱説とは、人間とは元々弱い存在であるということが前提にある考えです。

 

例えば、落ちてる財布を盗んでしまったとき、その原因は、人間が悪いからではなく、ほんの出来心に負けてしまったからである、という考え方です。

 

他には、いじめ問題も、その人が悪い人間であるからではなく、周りに同調しないと怖いという弱さによってイジメに加担してしまう、という考え方です。

 

僕個人的には、性悪説や性善説より性弱説の方がしっくり来ます。

 

また、性善説、性悪説には色々と欠点があります。

 

例えば、もしあなたが学校の先生で、生徒の宿題の提出率向上を目指すとします。

 

性善説の人なら「生徒は宿題をやってくる」と信じており、生徒に「宿題しろ!」と言わないので、生徒から好かれるかもしれませんが、結局のところ宿題するかどうかは生徒次第なので、提出率が向上するかどうかはかなり怪しいですし、むしろ生徒が先生を舐めて提出率が下がるかもしれません。

 

そして性悪説の人なら「生徒は絶対に宿題をやってこない」と思っているので、あの手この手で強制的にも生徒に宿題をさせるでしょう。確かに提出率は向上するかも知れませんが、生徒からの信頼を失い、最悪の場合学級崩壊するかもしれません。

 

といった具合に性善説、性悪説ともに大きな欠点があるんです。

 

では、性弱説ではどうするか?

 

それは、

「人間は弱い生き物だから、宿題をしないのを防ぐシステムを作る。」

のです。

 

宿題をやらないのは生徒が悪い人間であるからではなく、システムが悪いのであって、システムを変えるのが良いって考え方です。

 

例えば、僕は勉強しようと固い決意をしても、

数時間後にはゲームをしてたりします。

 

それは周りに誘惑してくる物がある環境、人間関係、日々の習慣などなど

システムが悪いからであるので、

僕はそれを改善すべく、自習室には勉強道具以外一切何も置いてません。

 

一見かなり質素ですが、勉強で必要なもの以外、極限まで排除しています。

 

遊んでしまうを防ぐシステム作りです。

 

僕個人的には性弱説がかなりしっくり来ますし、それを防ぐシステム作りをするっていうのは非常に合理的だなと思います。

 

結局のところ、人間が変わるのに必要なのは

環境、人間関係、習慣、行動、言動を変えることで

一番意味がないのが

「心を入れ替える事」

なんじゃねぇのかなぁと思うこの頃です。

 

ではでは。