自己承認欲求の終わりと新しい自己表現
どうも
「イイネの数が多い人は一見良い人っぽく見えて実際は裏があったりするけど、イイネを押してる数が多い人はたいてい良い人。」
でお馴染みのインスタでは美人にしかイイネしないクズことタケットです。
こんばんは。深夜の新聞部ことタケットです。
最近、個人的に「さーぽん」さんが
すんげぇタイプ過ぎて、
すんげぇ可愛くて、
すんげぇスタイル良くて、
とにかくもうやべぇです。
(語彙力)
といったところで、僕も大好きなインスタなんですが、
最近イイネの数が表記されないようになりましたよね。
それはいったい何でなんでしょうか?
今日はそれにまつわる僕の好きな哲学についての話を少ししていこうかなと思います。
評価する時代から評価される時代へ
インスタ、ツイッターなどなど様々なSNSが登場する前は、
食べログやレビューなど、僕たちは「評価する側」の人間でした。
店や企業が出す商品やコンテンツに対して、僕たちが評価し、
またその評価を★いくつかとか参考にするようになりました。
しかし、SNSが登場してから、僕たちもコンテンツを発信できるようになりました。
それすなわち、僕たちはSNSによって「評価する側」かつ「評価される側」の人間になるようになったのでした。
そして、評価を数字で分かりやすく表現したのが「イイネ」というものです。
SNSのイイネによって僕たちは評価されるようになったのです。
自己承認欲求の終わり
SNSのイイネによって評価されるようになった僕たちは、
承認欲求というものにハマるようになります。
多くのイイネをもらい、良い評価をされることに、
喜びや快感を味わうようになったのです。
そして、承認欲求を満たすために、SNSで投稿し、さらに承認欲求を満たしたいと思い、また投稿し、という無限ループを繰り返すようになりました。
しかし、この自己承認欲求の無限ループはあまりに不健全だし、いつか終わりがきます。
というのも、この承認欲求は「他人から評価される」ことが前提としてあり、
承認欲求を拗らせてしまうと、自分の機嫌を他人の評価でしかとることができず、
自分の精神状態が他人に依存している状況になってしまうからなんです。
そして他人も常にイイネを押してくれたり、評価してくれたりするわけではありません。
すると、他人からイイネを押してもらいたいが為に、自分の気持ちを偽った投稿をするようになります。
例えば、中華料理が好きで中華料理について自分の思いの丈を綴った投稿でイイネが1しかなく、あんまり好きじゃないインスタ映えするタピオカジュースを投稿したらイイネが100来たら、タピオカジュースの投稿をしたくなってくるみたいな事です。
果たして、このような人生が良い人生と言えるのでしょうか?
他人の評価に振り回され嘘をつく自分、
そして本来は自分の機嫌は自分で取らないといけないのに他人に依存している状況、
これを幸せと言えるのでしょうか?
最近SNS疲れという言葉を聞きますが、それもこういったことが理由でしょうし、
今後こういったSNSへの不満の声がさらに高まってくると思います。
新しい自己表現
では、自己承認に疲れた僕らが次に望むのは
「自己表現」をお互いで支え合う事だと思います。
他人の評価を気にせず、自分が本当にしたいこと、思っていることを投稿し、
そしてそれが誰かに共感してもらえることを願う、
といった具合です。
具体的には、イイネされたらいいな、評価されたらいいな、くらいの気持ちで、
「自分の夢に挑戦する」ために投稿するようになるって感じです。
すると、「その他人の夢を応援したい」という人が現れるようになり、
また一緒に夢を叶えることがその人自身の自己表現の一部となり、
もし自分のイイネした人や評価した人が、夢を叶えたりすると、その人にとってもハッピーな出来事になります。
簡単にまとめると
1.他人の目を気にせず自分が好きな投稿をする
2.それに共感する人が現れ、応援してくれる
3.一緒に夢を叶えて一緒にハッピーになる
4.逆に自分が好きな投稿をしている人を応援する
5.一緒に夢を叶えて一緒にハッピーになる
といった良い循環をするようになるのです。
他人からの評価やイイネは有限ですが、自分があげるイイネや評価は無限です。
つまり自己承認欲求には限界が来ますが、他人への愛は尽きることがなく、
人生の喜びは他人への愛に見いだすべきと言う訳なんです。
インスタグラムのイイネが表記されなくなった理由
おそらくこういった流れから、インスタグラムは、
イイネ稼ぎのための危険な撮影や、行き過ぎた行動をする人を牽制し、
イイネの数による自己承認の負の連鎖に終止符を打とうとしているのではないでしょうか?
本来インスタグラムは写真を通じて、コミュニケーションを広げるツールとして
楽しむものでした。
これからは自己承認の暴走にブレーキをかけ、
他人への愛で溢れるSNSに変わろうとしているのかも知れません。
ではでは。